東アジア的経営組織論

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第1章 自ら壊す日本的経営の優位性

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モラルの資源とたなぼたの成功

 日本の歴史、風土の中で江戸期から長い歴史をかけて培った日本的経営の基盤の上に、日本は第二次大戦後の高度成長を遂げてきた。日本は、周知のとおり石油や天然ガスなどの資源はほとんど皆無だし、農地も決して肥沃ではなく、地震、台風、洪水などの天災は多く、決して豊かな国土ではない。むしろ貧しい国である。こうした現状を日本人は歴史的に理解し、貧しさを克服するために、豊かな社会を夢見て日本人は懸命働いてきた。

宮崎市定は日本を支えたのは、自然を相手に無理をせず、功をあせらず、名を求めず、労苦に耐え、運命に忍従した農民的(農業や林業、漁業などに携わる人々)人生観に支えられたモラルの資源であったと指摘する。日本を支えたのは、武士道を唱えた第二時大戦前の軍人でもなければ、戦後の武士道なき官僚でもなかった。

「自然の資源の少ない日本においては、モラルの資源を愛護することを知らなければ、表面的にはどんなに経済成長を遂げようとも、見かけだおしのその繁栄はけっして長くつづくものではない。いわゆる経済の高度成長も、短期間で達成できたものは、また短期間で失い易いと覚悟しなければならない。」(宮崎496頁)

 

モラルの資源を基礎にして、恥の文化ともいわれる美意識や平等主義、序列意識などの日本的精神が存在する。モラルの資源が日本人を支え、日本の経済的成功の糧となった。日本人にとってモラルの資源は慈愛して、育むべき大切な資源である。

 私たちは日本の第二次世界大戦後の成功をどう認識するべきなのであろうか。

 日本企業や日本社会だけで力で1980年代までの経済大国への成功が可能だったわけではない。第二次世界大戦以降の日本の成功は全く「たなぼた」であった。

 第二次世界大戦後の冷戦構造の中で、米国はソ連や中国といった国際共産主義の脅威にいかに対処するか、さらに日本を二度と米国の脅威とならないようにいかに経済的に復興させるかという政治的課題に直面した。米国は、こうした政治的課題に対して、日本から東南アジア、インドを経由してペルシャ湾の石油地帯までの「大きな三日月」による共産主義を封じ込めと、アジアにおける米国主導の安全保障体制に組み込むことによる日本の軍事力の封じ込めという二重の封じ込め策によって対処した。

 ここでの鍵は日本にあった。二重の封じ込め策で米国がアジアに必要だったのはアジアの兵站基地で、この役目を果たせるのは日本だけだった。これがアジアにおける日本の中心性を保証することとなった。しかし、この中心性はあくまでアジア地域秩序における米国の構造的優位を脅かさない限りでの中心性であった。

 日本・東南アジア・米国の三角貿易体制の構築が、二重の封じ込め策を具体化させる経済政策となった。東南アジアが中国に代わって日本への原料輸出、日本からの製品輸入を引き受けることによって日本の経済復興と東南アジアの経済開発を同時に達成する。そしてこれがうまく回るように米国がドルを提供し、これによって日本・東南アジア・米国の三角貿易システムを構築する。

 こうして、かつて19世紀半ば、シンガポール、香港、上海がアジアにおけるイギリス自由貿易帝国建設の戦略拠点となったように、こんどは日本がアジアにおける米国の非公式帝国建設の戦略的拠点となったのである(白石129-131頁)。

 大戦直後に起った朝鮮戦争による戦争特需は、大戦で疲弊しきったトヨタなど現在の大企業を救う結果となった。さらに、米国の積極的な市場を開放は日本の復興を強力に推し進める役割を担った。

米国との安全保障体制によって、軍事には人材や歳入を投入する必要がなかったことも大きかった。優秀な人材は、高級官僚や企業幹部として日本復興のために活用することが可能であったし、政府も軍事的な財政負担をすることなく、インフラ整備や企業育成などに財政を使うことが可能であった。この点は米国の財政支出に占める軍事支出の大きさを見れば明らかであろう。日本の政府と企業は、復興に必要な必要な資金と人材を経済復興のために惜しみなく投入できたのである。

「格別の恵まれた条件」-「たなぼた」を生かしてそれを富国の条件にするだけの自前の努力と工夫が必要で、一定の他力と一定の自力を合わせてはじめて富国は成立する(高橋86頁)。日本の経済的成功は、さまざまな好条件という他力とモラルの資源という自力が重なりあってできた「たなぼた」だった。日本は「たなぼた」を生かして、富国にすることができた。ただ注意しなければならないのは、国であれ個人であれ発展の真っ只中にあるときは、それをもっぱら自力によるものと勘違いしがちであることである(高橋87頁)。日本と日本人の力を過信し、舞い上がってしまったことが、1980年代のバブル経済、1990年代の長期停滞を招く要因となった。

 

モラルの権威の確立

古代ギリシアでは労働は奴隷が担うのが一般的で、西欧文化では、労働に対して価値を見出すのは近代に入ってからである。中世の修道院では、労働を宗教上の鍛錬と神への奉仕活動という意義付けがなされた。カルバンに代表されるプロテスタンティズムは、世俗内での労働の意義を神への信仰と結びつける。カルバン派教徒は現世において行う社会的な労働は、ひたすら「神の栄光を増すため」のものだから、現世で人々全体のために役立とうとする職業労働もまたこのような性格をもつことになる(ヴェーバー166頁)。これが資本主義の精神的起源をピューリタンに求めるヴェーバーの仮説につながる。

中国ではモノつくりが知識人の間で軽視され、一般に道徳、詩文が重んじられた。中国では長い間詩文の科挙試験によって選出された文化人たちが士大夫階級として社会上層に君臨した。彼らは儒教を戒律とし、詩文に長じ、書を良くしたが、モノつくりは軽視した。中国で火薬や大砲、羅針盤、印刷機のようなものを発明しているにもかかわらず、雇い人である技術者階級などのやることあると考えられた(林214頁)。

日本は場合、中国の「士」という文字は同じでも両刀を差して社会の支配者となった「侍」の武士だった。武士はもともと力による成り上がり階級で、実用的だった。こうした実用的な日本の武士階級も、倫理的には非常にルーズだったが、美学的にはうるさかったようで、日本刀などは実用品でありながら精巧な技術品かつ工芸品は世界でも稀であった(林213頁)。室町時代においては精巧な日本刀な貴重な輸出品であった。

日本ではモノつくりや茶道などの実用的な技術に精神修養の意義を見出した。剣道や茶道が「道」にまで高められ、あるいはすぐれた職人の技術とその「道を極める」精神が社会のあらゆる階層に高く評価されるなど、実用的な技術とそれを支える精神性を重視した。これはそのまま、現在のモノつくりへの精神にもつながる。

ちなみにヴェーバーが資本主義の精神の起源としたピューリタン的労働観であるが、現在にいたっては本来、労働の目的であったの「神の栄光を増す」という信仰的な側面が全く失われてしまった。元来「神の栄光を増す」ための手段に過ぎなかった貨幣的価値が、自己目的化し、貨幣的価値だけが労働の目的となってしまった。

イデオロギーや宗教的なものが没落した直後に続く中間的段階では、しばしば貨幣への執着が見られる。宗教史は、信仰が薄れ、富の神格化に走った例には事欠かない。神を捨てた者は貨幣の偶像に走るという、金の牛の神話は、この一連の事情を表している。17世紀のプロテスタントの危機は、新しい宗教を生み出したが、それは、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が指摘したように、貨幣の蓄積への熱狂を伴っていた(トッド239頁)。

 ウェーバーはかつて、市民的資本主義の発達が西洋にくらべて立ち遅れている南ヨーロッパやアジア諸国の職人たちの金銭欲は、イギリス人の職人と比べて徹底的だし、厚顔だと述べた(ウェーバー 53頁)が、宗教的なものが没落した現代においては、イギリスのみならず西洋諸国(及び、世界中がそうだが)はウェーバーが立ち遅れていると指摘した状況にまで退化してしまったのである。

 現代の日欧米中に限らず多くの諸国では、その国や、企業、はては個人の力やその価値を、すべて生産力あるいは所得という経済的ものさしだけで判断するような極端に「富の神格化」の進む状況に陥ってしまった。一方、経済的には後進国とみなされがちなイスラム諸国家では、宗教的な制約が今でも強く残り、神の教えに忠実なるゆえの経済的停滞という状況に陥っている。

聖書に、

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とにつかえることはできない。」(新共同訳 マタイによる福音書5章24節)

という言葉がある。文字通り、金銭や欲望など眼に見える富ではなく、キリスト教の神に仕えることを説く教えである。

こうした価値観からは、宗教も信じる神も違うが、イスラム社会は西欧的な民主主義や経済的な側面では確かに停滞しているが、一方で宗教的な純粋さではむしろ世俗化しきったキリスト教が支配する米国よりもむしろ優れているのかもしれない。

経済的な価値か宗教的な価値か、何を価値基準として評価するかが問題なのであるが、いずれにせよバランスが必要なのは間違いないであろう。米国は、経済的な犠牲があったとしても、宗教的にはウェーバーの禁欲的なキリスト教精神にもう一度立ち返った精神性の回復が急務の課題なのではないだろうか。

 現在の日本社会構造の変革についても、まず日本人自身の精神、価値観の変革が必要なのではないだろうか。軍事大国で失敗した日本はまさに経済大国としても失敗しようとしている(名東84頁)。日本経済の改革とはただ単に日本人が作り上げた政治経済体制を変革することを意味するのではなく、日本人の精神の変革が伴わなければならないであろう。

アングロサクソン型(米国型)自由市場主義の特殊性

現代ではグローバリゼーションという名のもとに、米国に代表されるアングロサクソン型資本主義・自由市場主義が世界共通の基準であるかのような考え方が広まっている。しかし、現実には自由市場はアングロサクソン的な特異なものであったし、それは少なくとも他のどんなヨーロッパ社会にも見られなかった環境の中で築き上げられたものであった。それはほかのどんなヨーロッパ社会にも見られなかった環境の中での築き上げられたものであり、それが完全な形で存在したのもせいぜい一世代の期間だった(グレイ19頁)。歴史的にみれば、アングロサクソン型資本主義や自由市場というのは19世紀以降登場した特異な資本主義と市場形態なのである。

 では、アジア、特に急速な経済発展を遂げた日本・韓国・台湾など東アジアでは従来、市場をどのように認識してきたのか。この地域での中心的な役割を果たしたプレーヤーである華人の経済取引とは相手の固有名にこだわって排他的、選択的に取引相手を維持していこうというネットワーク型といえる。アングロサクソン的(むしろ米国的といった方がより正確かもしれない)な基準からみるとまさにインサイダー取引であり、縁故主義であろうが、華人にとってはこういうネットワークの中にこそ礼や仁という徳あり、公がある。こうした背景から華人的経営が生まれるのである。

 こうした市場が成立した背景には、中国という国家が歴史的にみて商人の経済活動の市制度的枠組みをサポートしようという関心が全く欠如していたことがあった。商人は必要な経済秩序の維持を、家族・同族といった個人的な保証に頼らざるを得なかったのである。こうした違いは、ネットワーク型が前近代的で匿名型が近代的であるいった歴史の単線的な発展段階の相違で解消されるようなものではない(原1999年108頁)。また、東北アジア一体の共通文化となる儒教には敬天愛人の思想があるために人間関係を非常に重視する傾向が強い。人間の集団生活をスムーズに営むことを考えている。

 ただし同じ儒教国でも、日本と中国では大きな差があり、日本では個人が属する集団(おおやけ)に対する帰属意識は個人や血縁などの身内よりも上位を占めるのに対して、中国(華人)では血縁などの身内への帰属意識が他の集団よりも優先する。例えば企業で働く日本人がしばしば感じる、日本人が会社へ持つ忠誠心と比較した華人のもつ企業への帰属意識の弱さは文化的な違いなのである。

人々が自発的に作り上げる市場組織のあり方は、その国の風土、歴史に強く依存している。そのため市場での競争圧力だけで、市場組織のあり方が容易に変質して同質化すると考えるべきではなく、国や地域にはそれに適した市場経済の型や進化があると考えるべきであろう(原99年34頁)。もともとグローバリゼーションは国家経済の相違があるからこそ栄える。これからの市場とは、米国の自由市場のコピーが全世界に出来あがるのではなく、いくつかの新しい型の市場の出現をもたらす。

 白石隆は、政治的意図に基づいて形成されたEUとは異なり、政治的意思なしに企業活動から形成された日本、韓国、中国、台湾、東南アジア諸国からなる東アジア共同体が、今後の日本にとって日米同盟と並ぶ世界の中で現在の地位を保つためのカギであると指摘する。東アジア共同体とは東アジア、東南アジア圏の中産階級が形成する市場そのものであり、それは歴史的、文化的な相違を持ちながらも、あるまとまりを持つ大きな市場なのである。

東アジア地域にある東京や上海、香港、シンガポール、ジャカルタ、バンコクなど大都市には著しい類似性があるが、一方で各地域はさまざまな歴史、民族、宗教などが織り成す多様性を持つ。東アジア地域における多様性と類似性の共存は、米国のように民主主義や自由市場といった強力で理想的なイデオロギーに基づく社会形成とは異なった、中核を求めない穏やかな開かれた東アジア的なアイデンティティーの形成を期待させる(日本経済新聞)。東アジア地域のもつ多様性の尊重と、多様性に対する寛容性はグローバルな社会が成立するための鍵である。それはグローバルに活動する企業にも全く当てはまる。

米国的経営の特殊性

 今まで見たように企業経営はその企業の属する国の歴史や文化などに大きく影響を受け、それぞれに独自性がある。それぞれの国における企業ごとに経営方式は異なる。これは米国的経営といわれる企業経営についても同様で、米国的経営といわれるさまざまな利害関係者の中でも特に株主を重視する企業経営も華人的経営、日本的経営が特殊なように、やはり特殊なのである。

 チャンドラーは米国的経営を経営者資本主義と呼んで、その形成過程と特徴を述べている。

20世紀初頭においては、米国の経済制度はまだ家族中心の企業経営形態である家族資本主義や、日本などに多い銀行からの融資、経営者派遣などを活用する企業経営形態である金融資本主義の要素を多く残していた。投資家による投資と専門経営者による経営を特徴とする企業経営形態である経営者資本主義はまだ十分に支配的になるには至っていなかった。

米国企業において、一族のメンバーが所有する会社のマネジメントに2世代以上にわたって参加しつづけるという例はごくわずかであった。創業者一族は、過半数に及ばないものの大量の支配的な株数を所有しつづけたが、彼ら自身が職業的経営者としての訓練を受けていない限り、トップ・マネジメントのなかで積極的に行動することはほとんど無かった。そのため華人的経営に特徴的な家族主義的経営(家族資本主義)は、創業当時は別として長く続かなかった。

理由としては、家族企業から得られる利益(配当)は、通常、巨額であったため、創業者一族が管理組織の階段を登って行くためにわざわざ年月を費やそうという、インセンティブが働かなかったからであった。配当という金銭的なリターンが保証されていれば、企業そのものの所有にこだわらなかったのである。

専門的な経営管理者として雇われた社内の経営者たちは、当初は投資や融資などを通じて金融業者が影響力をもっていた企業においても、やがてこうした企業を支配するようになった。当時の先端企業であった鉄道会社のように、巨大な金融市場からの借り入れが必要な企業でない限り、通常、企業が稼ぎ出す利益は、企業活動や企業の再編に必要な資金としては十分で、金融市場からの借り入れが不要だったのである。米国における金融資本主義はきわめて狭い領域にしか成立せず、また短命に終わった。

家族経営に基づく小規模の伝統的企業は、徐々に複数の事業単位をもつ強大な近代企業にとってかわられた。それは事業部単位での管理や階層的な管理方法が生産性においても、コストにおいても、さらには利潤においても、家族資本主義下での管理方法よりも優越するようになったからだった。

ひとたび階層的な管理組織が形成されて、管理的調整機能を成功するようになると、階層性管理組織それ自体が、企業の永続性、活力、そして持続的成長のための原動力になっていった。そして、階層組織組織を指揮する専門経営者は、次第に技術的かつ専門的になったのである。

そして、複数単位制企業がその規模において大きくなり、業務内容の多様化をすすめ、また一方、その管理者がますます専門家となるにつれて、企業の経営がその所有から分離するようになった。近代企業の台頭は、所有と経営の関係についての新しい定義を、したがって米国経済にとって新しいタイプの資本主義をもたらすことになった。これが、チャンドラーが経営者資本主義と名づけた企業経営のスタイルである。現在の株主至上主義的な米国的経営の前身である。

現在の米国的経営を理解する者からすると、経営者資本主義に基づく企業経営者は、やはりさまざまな利害関係者の中でも株主を最重視して、株主利益の極大化のために、短期的な利益を追求する経営スタイルを創造した。しかし、チャンドラーが指摘するところでは、経営資本主義発生当時の職業経営者たちは、経営上の意思決定に際して、どちらかというと、現在の利潤を極大化する政策よりも、企業の長期的な安定と成長に有利な政策を選考する傾向があった(チャンドラー17頁)。

経営者資本主義の温床

こうした経営者資本主義が成立した米国の社会的条件としては、米国の特殊な国内市場の規模と性格があった。19世紀後半において米国の国内市場は世界最大の市場であった。さらに重要なことは最も急速に成長しつつある市場であったことである。米国の人口と国民生産の成長率は、南北戦争から第一次世界大戦にいたる期間一貫して、イギリス・フランス・ドイツなど当時の先進国よりもはるかに高かった。

米国市場の大部分はわずか数十年以前までは未開拓の荒野であり、市場自体が新しかった。そして企業もまた新しく、ビジネスのやり方が、規則化し硬直化していなかったのである。その結果、市場は米国人を励まして、大量生産のための機械と組織の開拓へと向かわせた。

ヨーロッパや日本では、国内市場がより小さくまたその成長がより緩慢であったため、新しい大量生産技術の採用に対する製造業者たちの関心が強まらなかったばかりでなく、大規模販売と購買組織をつくりあげようという誘因も弱められた。

イギリスとフランスでは家族資本主義が繁栄をつづけた。日本とドイツは市場と現金の流れがより小規模であったたため内部資金に依存する機会が少なくなるとともに、その結果として、ドイツでは大銀行、日本では主要な金融グループ(財閥)といった、外部の金融機関への依存を強め、金融資本主義が支配したのである。

法律的な違いも影響を与えた。ヨーロッパでは家族企業はその利益を継続的に確保するために、イギリスでは持ち株会社、ドイツではカルテルという形で他の家族企業と連合した。しかし、米国ではシャーマン法が小規模な家族企業がカルテルを結成するのを禁じたため、米国における巨大企業の成長が早められた

また、階級の存在も影響を与えている。ヨーロッパでは、階級的が厳然として存在したために、ヨーロッパの家族は米国の家族に比べ、その地位を維持するには必要な所得の源泉である企業との一体感をより強く持っていたのである。家族は依然としてその企業のトップ・マネジメントを支配し続けえた。

しかし西ヨーロッパでも日本でも第二次世界大戦後、民主化、産業・金融の自由化などによってさまざまな制約が減少してゆくとともに、冷戦期やその終結を通して、米国的な資本主義が普及するにつれて、米国で生まれた経営者資本主義も世界的に普及していったのである。

米国的経営の行き詰まりと90年代の日本企業

米国から世界に広まった経営者資本主義であったが、20世紀後半以降、日本、ドイツ、韓国など多くの国における主に製造業を中心とした企業活動の拡大と発展に伴って、米国の製造企業はその優位性を失っていった。それは米国の工業生産の不振となり、貿易収支の急激な赤字となって顕在化した。もはや米国は20世紀前半までのような先進的な工業生産国ではなく、自国の工業製品の輸出によって輸入代金をまかなうことが出来なくなってしまったのである。しかし米国の消費者の需要は益々旺盛になるため、輸入は増加の一途をたどる。

そこで、クリントン大統領時代に米国政府が選択した戦略は、製造業から金融・情報へシフトすることで、グローバルな市場を形成し、世界的規模で米国経済の優位を確立することであった。ドルという機軸通貨の力が引き寄せる全世界からの資本の流入によって、膨大な貿易赤字を補うことをはじめた。

実際、日本の経常黒字は米国へ海外投資として流入してゆくが、その資金は米国を結節点としてアジアへ短期投機資金として還流している。これが米国の投資ファンドといったグローバリゼーションを支える金融資本である。そしてこの金融資本が日本、米国、欧州、アジアなど国籍を問わずに投資活動を行い、その投資活動の中でグローバルスタンダードと称して株主重視偏重の企業経営を各国企業に押し付けている。

米国で経営者資本主義が生まれた当時の企業経営者達は、過度の投資家など株主の企業への介入を嫌い、短期的な利益の追求よりも、企業の安定と成長のための長期的な戦略を策定していたと述べた。しかし、現在の米国的経営では、そうした側面は忘れ去られ、投資家など株主利益の短期的な極大化を目指すような、株主至上主義になってしまっている。

田中直毅によれば、90年代前半までは米国のあたかも発展途上国かのように、国内貯蓄を上回る国内投資を長期的に持続したため、ドル暴落にかかわるいくつものシナリオが提示された。しかし90年代後半になると、企業にかかわるシステムを持続的に稼働させ、売り物になる企業を次々に生産販売することによって、安定的な資本収支の黒字を生み出すことに成功した。大学、高等研究機関、ベンチャービジネス、ベンチャーキャピタルなどが企業群を創出し、欧州や日本の伝統的企業が買いあさった(田中「一国至上主義がもたらす長期戦争の可能性」)。

しかしこうした経常収支の赤字を補う資本収支の黒字がいつまで堅調に持続するのかは、米国企業を買い取りの対象とする海外からの直接投資がどれだけ続くかに掛かっている(田中「米国で『双子の赤字』復活の兆し」)と田中は指摘する。 

 一方の日本であるが、90年代の日本は景気後退と重なって、マスコミが囃し立てる株主至上主義的な米国的経営がグローバルスタンダードであると真正直に受けてとめてしまい、行き過ぎた米国的経営礼賛となった。

一部の企業はその欺瞞に当初から気が付いていたようであるが、2003年頃になってようやくマスコミの論調も変わりだすことで一般的に気が付きだしたようである。

 例えば、2003年12月1日付け日経ビジネスでは、執行役員制度、社外取締役など米国型の取締役会を導入したソニーやコナミなどの企業より、従来型の取締役制度をつづけるトヨタやキャノンなどの企業の方が、業績が良いという結果がでたと指摘し、従来型の取締役制度をつづける企業の意見をまとめてみると、米国型の取締役会は日本的経営の風土には合わないということを結論付けている。

また、2004年2月20日の読売新聞では、約8兆円の公的資金を投入して再建を果たした旧日本長期信用銀行の再上場により、約8千億円もの利益を得た米国投資会社について、日本のマスコミや多くの国民には、米投資会社が濡れ手で粟をつかんだかのような印象をもち、印象の悪いニュースとなって伝わったことを伝えている。

米投資会社は、契約上は何も非難されるべき点は無く、むしろその再上場に至るまでに果たした役割を評価されるべきであったはずであろう。この印象の悪さ、違和感が、米国社会と日本社会の違いであり、投資家の利益の最大化を目指す米国短期資本とその代理人である米国経営者と、さまざまな社会的な制約下で企業活動を行う日本経営者の違いを、感覚的であるが本質的に表しているといえる。企業経営がその企業の存在する社会、そして歴史を反映するものであることが端的に理解できる。

現在、米国は世界一の軍事大国であるが、経済的には世界に極端に依存する。米国は軍事的に唯一の超大国としてグローバル(地球大的)ではあったとしても、米国的な価値観はユニバーサル(普遍的)ではありえないのが現実であろう。

株主重視偏重の米国的経営は世界の安定要因ではなく、むしろ不安定要因となっている。社員、株主、社会を同等に大切にし、日々着実に、改善を続ける経営スタイルこそが日本企業にふさわしい経営モデルなのではないか。行き過ぎた市場の重視には注意しながら日本的経営の強みを強化すべきであろう。現在の「市場化」という言葉の本質は、企業価値の評価を株式市場にすべて委ねようとする傾向に過ぎない。本来、市場とは一つのメカニズム、機構でしかなく、この機構が保障する競争が、市場に参加している人々に金銭的利得というインセンティブを与える程度のものでしかないのである。それにもかかわらず現在、「市場」という言葉はそれを発するだけで一挙に何でも解決できるような錯覚を与える「魔法の言葉」となって現代世界を徘徊している(原99年35頁)。

アジアの先進性

 聖書の創世記で、アダムとイブが「善悪の知識の木」の実を食べ、エデンの園から追放されるという物語がある。アダムとイブはサタンの誘惑によって「善悪の知識の木」の実を食べて自ら神に背いたためにエデンの園から追放され、それ以後、人間はそれまで知らずにすんだ善悪を知るようになった。

自由市場主義者の代表格であるハイエクは『隷属への道』で、自由主義の成功が、自由を管理しなければならないという全体主義を生み、その結果自由主義の衰退の原因となったと述べた。これも創世記にあるようにサタンの誘惑によって、人間が誤りを犯した例であろう。

ハイエクは、自由主義のおかげによる広範な経済的発展は、時代が経ってゆくにつれてますます当然なこととみなされるようになり、それが自由に基づく政策の結果であると判別する能力を人々はいっそう失っていったこと、そして自由主義者の融通のきかない「自由放任(レッセ・フェール)」の原則に凝り固まった主張ほど、自由主義にとって害をなしたものはないと指摘する。

現在のグローバリゼーションはどうか。市場主義の成功が、市場がすべてを解決するという市場原理主義思想を生み、市場自体への反発を招いて市場主義の衰退の原因となる可能性があることに注意しなければならない。

ハイエクは、真の自由主義者の政策が目指すところは、社会の諸力がうまく働いていくのを助け、必要であればそれを補充していくことであり、そのために第一にしなければならないことは、その力自体を理解することにあると主張する。

 市場は優れた経済機構ではある。その力を最大限に発揮するには、市場がうまく働いていくように助け、必要であれば市場を補完することであり、そのために第一にしなければならないのは、市場の力を十分に理解することであろう。アダムスミスは、社会を成り立たしめるためには、自由の他に自由を制限するためのルールや法、さらには正義や公正の観念などが必要になることを強調した(間宮173頁)。もっと市場は自愛して大切に育てられるべきものである。

 アジアの文化の中では、ビジネス上の利益は究極的な目標ではなく、社会的な安定と豊かさが究極の目標とされ、ビジネスを支える市場組織も、富の創出と社会的まとまりのための手段であるという手段論的な見方をされる。市場自体が目的であるという神学的な見方はされない。「アジア的価値」の魅力の一つは、経済生活について徹底的に手段論的な見方をとることによって、経済政策を教条的な衝突の場としてしまう西欧の強迫観念を避けていることである。経済神学からの「アジア的」自由のおかげで、市場組織はそれが社会の価値と安定にどのような影響を与えるかという観点から判断され、改革されることが可能になる(グレイ268頁)。市場はその公平性が保たれれば、多くの市場参加者が豊かになれるという非常に優れた経済的手段である。

センは日本、韓国、台湾、シンガポール、香港など東アジア諸国での「東アジアの奇跡」の要因は、基礎教育などの人間的発展を重視して、国家と市場は相互に補い合うものであるとする「東アジア戦略」にあったと指摘する(セン29頁)。このような市場を育てるための知恵が求められている。アジア的な思想に基づく知恵が世界のために役立つ時代が到来した。

東アジア時代の日本的経営

 企業経営の目的についても文化的背景によってかなり多様性がある。

 米国の場合には、企業経営とは株主利益を極大化することである。企業経営者は株主から企業経営を任されたプロであり、企業および社員は利益を生むための手段となる。従って、株主と企業経営者、社員の間には常に対立的な緊張関係が存在している。企業統治はもともと株主に代わって経営を任された経営者が、私腹を肥やすなどといった株主や会社に対する背信行為を防ぐことを目的として確立されてきた概念である。米国ではエンロンなどのように経営者が企業や投資家を食い物にする事例は今でも多いのは事実である。

 華人の場合には、多くの場合、株主と経営者が一体化しており、一族・同族の繁栄を維持するというより大きな目的のなかに組み込まれている。米国的な観点からすれば、情報公開の不明瞭さが伴うアジア的な一族経営、所有と経営の一致はマイナス的にとらえられがちであるが、必ずしもマイナス要因ばかりではなく、グループ子会社のコントロール、資金管理、迅速な意思決定、買収への対応など貴重な経営資源ともなるのである。特に、歴史的に国家というものに対する信頼が低い華人企業にとってみれば、企業を守るための一族経営や所有と経営の一致は、経験則に近いのであろう。

 日本の場合には、株主と経営者は独立した関係にはあるが、経営者は株主の利益を極大化するというよりも、企業の存続、強いて言えばそこで働く社員の雇用維持を重要視する。最近は変わりつつあるが、株主も経営者に対して短期的な利益の極大化を求めることはなく、低い配当にも文句をいわなかった。

こうした背景には、経営者はほとんどの場合、社員からのプロパーであり、組合も経営側と協調的であったため、社員の雇用維持ということに大きな配慮を置いてきたということがあった。これは企業に「おおやけ」を感じるという日本独特の文化的影響であろう。株主の方も、利益の追求を前面に出して、そのためには「おおやけ」である企業組織そのものを犠牲にするということに対して非常に後ろめたさがあったのである。

 以上のように企業と社会との日本独特の緊張関係から多くの日本企業には、米国的な企業統治が必要とされなかった。企業は何にもまして株主利益のための手段であるという米国流の信念は他のいかなる大部分の資本主義によっても共有されることはない(グレイ84頁)。企業にかかわる利害関係者は企業が経営を行う国や地域によってさまざま異なる以上、企業活動がグローバルになるに従って、企業統治も多様とならざるを得ないのが現実なのである。

 バブル崩壊からリストラに取り組む日本企業のなかで、盲目的に米国的経営を企業に取り入れようとして失敗を重ねた企業が多かった。市場主義という大儀のもとに、マスコミやコンサルタント会社がこぞって米国的経営手法の導入を宣伝し、企業がそれに踊らされてきたが、本当にそれでよかったのであろうか。現在好調な日本企業は、新興のIT企業などを除けば、概ね自らの歴史・伝統を十分に認識したうえで強みを生かすために地道に努力を積み重ね続ける企業であるといえよう。

日本は第二次世界大戦後、本来はアジアの貧しい国であるにも関わらず、米国の世界戦略に基づく直接、間接の経済的援助によって、米国に次ぐ経済的な地域を確立した。その課程で手本とすべきは何でも米国であるかのような幻想を抱きつづけてきた。しかし、現在のような金融資本が推し進める市場主義化とそれを支える米国的経営というのは、もはや日本が手本とすべき経営ではないのではないだろうか。

むしろ日本は成長著しく、同じ東アジア共同体を形成する競争相手であるアジアの企業から学ぶ時代に回帰したのではないだろうか。アジア的な企業経営で課題が多いのも事実であるが、欧米の企業経営の課題もはっきりとしている。2章以降で触れるが、華人的経営、泰国的経営には、日本企業が簡単に捨て去ろうとして棄てきれず、かえってその重要性を再確認させるような、重要な経営要素が含まれているように思われる。今、日本企業に求められるのは、相互依存関係にある東アジア共同体の参加者である東アジアの企業から謙虚に学ぶ姿勢なのではないだろうか。

参考文献

ウェーバー,マックス 大塚久雄訳 改訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫 1989年

グレイ,ジョン 石塚雅彦訳『グローバリゼーションという妄想』日本経済新聞社1999年

セン、アマルティア著 大石りら訳『貧困の克服-アジア発展の鍵は何か-』集英社新書 2002年

チャンドラー,アルフレッド.D. 鳥羽欽一郎・小林袈裟治訳『経営者の時代』 東洋経済新報社 1979年

トッド,エマニュエル 平野泰朗訳『経済幻想』 藤原書店 1999年

ハイエク、F.A  西山千明訳『隷属への道』春秋社 1992年

ブローデル,フェルナン 浜名優美訳 『地中海』 藤原書店 1999年

ボー,ミシェル 筆宝康之・勝俣誠訳 『資本主義の世界史』 藤原書店 1996年

リード,アンソニー 平野秀秋訳 『大航海時代の東南アジア』 法政大学出版局2002年

石井威望 『日本人の技術はどこから来たか』 PHP新書1997年

上山春平 『照葉樹林文化』 中公新書 1969年

加地伸行 『儒教とは何か』 中公新書 1990年

川勝平太 『文明の海洋史観』 中公叢書 1997年

佐伯啓思『成長経済の終焉』ダイヤモンド社2003年

朱炎 『アジア華人企業グループの実力』 ダイヤモンド社 2000年

名東孝二『英知産業のすすめ』白桃書房1998年

原洋之介『アジアダイナミズム』NTT出版 1996年

原洋之介編『新版 アジア経済論』NTT出版 2001年

原洋之介『グローバリズムの終焉』NTT 出版1999年

林周二 『経営と文化』 中公新書 1984年

広井良典『定常型経済』岩波新書2001年

間宮陽介 『市場社会の思想史』中公新書 1999年 

宮崎市定『アジア史概説』中公文庫1987年

湯浅泰雄 『日本人の宗教意識』 講談社学術文庫 1999年

田中直毅「米国で『双子の赤字』復活の兆し」21世紀政策研究所

田中直毅「一国至上主義がもたらす超長期戦争の可能性」21世紀政策研究所

日経ビジネス 2003年12月1日号

日本経済新聞 「ゼミナール 展望・東アジア共同体26」2004年11月24日