チャルーン・ポーカパン社(CP)はタイ最大の企業グループであるとともに、タイ最大の多国籍企業である。タイ、香港、台湾、上海、シンガポール、ジャカルタ、ニューヨーク、ロンドンに上場する企業や、中国に展開する150以上の企業集団を含めて、2004年度の企業規模は、企業数250、上場企業15、従業員数8万人、グループ売上高120億ドルを越える大企業である。
中核業務は、飼料、ブロイラーなどの食糧・食品加工品の輸出業務等のアグリビジネスで、アグリ関連の売上高は30億ドルを占める。比較として、日本における飼料業界大手の協同飼料の2003年度売上高が1015億円(約9億ドル)、食料品大手の日清製粉が4341億円(40億ドル)であるから、その業務規模の大きさが納得できるであろう。
アグリビジネス以外にもタイ、中国で大規模に展開する流通業、不動産業、通信業などに進出するコングロマリオットを形成しており、東南アジア華僑財閥としてもトップ規模の企業グループである。進出先は、アメリカ、中国、インド、香港、台湾、シンガポール、マレーシア、インドネシア、ベトナム、ミャンマー、バングラディッシュ、カンボジア、トルコと東南アジアを中心にアメリカ、南アジアまで広がる。
特に中国でのビジネス展開は急速で、中国名「正大集団」といい、1万人以上を雇用する中国最大級の外資系企業である。中国での売上高は50億ドル程度あると言われる。
世界的なアグリ企業へ
中国広東省に生まれた謝易初は1921年に来タイして、中国から良質の野菜の種を輸入販売する「正大荘行」という店を始めた。正大荘行は使用期限を記載した紙袋に種を入れて販売、期限切れのものは回収するなどアフターサービスに力をいれて商売を広げた。やがて東南アジア最大の種販売店に成長した。
1945年にはスワトウに種輸出のための支店を開設した。そこを拠点に中国で、米の品種改良や育成の早いガチョウの飼育など、品種改良の技術開発を行った。1954年にはチャルーン・ポーカパン社(CP)を設立し、飼料販売を開始した。CPは謝易初の長男チャランの時代に養鶏業にも進出した。
1958年には現在のCP総帥である謝易初の四男のタニンが香港への留学から帰国し、CPの経営に参加する。タニンが経営に参加した頃からCPの経営は大きく変化、発展をはじめる。タニンは外部からの有能な人材や、進んだ技術を積極的に活用することで、飼料部門の経営改革を進めた。
1960年には香港に貿易商社を設立し、続いて台湾、インドネシア、マレーシア、米国、中近東などに進出を開始した。1967年にはタイで飼料生産を開始し、はじめて貿易業から製造業に進出した。
1970年にCPは会社が大きく発展するターニングポイントを迎える。世界最大のブロイラー原種生産会社である米国アーバーエーカー社と合弁事業を開始し、東南アジアではじめてブロイラーの種鶏の自給生産を開始した。効率的に養鶏を進める技術をシステムを確立したことで、CPは低コスト、大量生産の養鶏生産を実現した。
続いて1973年にはブロイラー用の雛孵化事業、そして近代的なブロイラー解体工場を建設することにより、ブロイラーの一貫生産体制を確立した。やがて冷凍チキンの輸出に関しては世界トップ5にまで成長する。
また1980年初頭にはタイの飼料業界で生産量の50%を押さえるとともに、世界的な飼料企業として成功した。農業技術についてはアジア有数の企業と評価されている。
多角化と挫折
1980年代後半には、CPグループは小売業へ進出する。1988年、オランダ世界最大の卸売チェーンであるマクロ社と合弁でサイアム・マクロ社を設立した。同年セブンイレブンのフランチャイズ権を取得してコンビニエンスストアの展開を開始した。また米国ウォルマートからノウハウを導入して、1フロア2万平方メートル以上もの売り場面積と大型駐車場を兼ね備えた大型スーパーマーケット、ロータス・スーパーセンターをタイ国内に展開していった。
小売業だけでなく、タイの産業政策の一環に沿った形で石油化学産業へも進出した。ポリ塩化ビニル(PVC)などの石油化学製品の製造を開始した。1994年にはタイ石油公団、中国資本との合弁でペトロアジアを設立し、石油の全国的な小売事業に進出した。また、現在1989年にはCP
テレコミュニケーション社を米国資本と合弁で設立して通信業へも進出する。
CPグループは多角化により、1990年代初頭で、アグロインダストリー(飼料、ブロイラー)、水産養殖部門(エビなど)、農業用ケミカル、貿易、マーケティング、不動産開発、石油化学、自動車関連、通信の9事業部門、年間売上1250億バーツ(当時のレートで約46億ドル)、系列企業数200社、従業員数7万人の大企業へと成長した。
しかしこうした事業の多角化も1997年の通貨危機により、大きな打撃をこうむることになる。多角化のための資金の多くが外国からの借入によって行なわれていたため、バーツの大幅な下落は打撃を大きくした。CPは非中核事業の外資企業への売却によって、リストラを結局的に進め、通貨危機による経営への打撃を最小限に食い止めることができた。
CPは安定的な事業であった小売業の事業売却に動いた。サイアム・マクロ社の持株をすべて合弁相手のマクロ社に売却した。大型スーパーのロータス・スーパーセンターについても、その株式の多くを世界第3位の小売業社の英国テスコに売却した。
また、石油小売業からの完全撤退や、中国で進めていたオートバイ、自動車事業の株式を中国資本側に売却して早期に撤退を決めた。通信事業については、その将来性から事業売却などをせずにとどめた。
一方、リストラの一貫として、タイのアグリ関連企業の12社を統合してCPフィードミル(現在のCPフード:CPF)を設立し、中核事業を強化した。最終的に、通貨危機後のCPグループとして無傷で保持できた事業はアグリビジネス部門と通信事業となった。
図12
図13
図14
出所:Thailand Company Handbook
再び中国へ
CPグループはリストラと中核事業への回帰により通貨危機を乗り越えた後、CPグループは、タイでの好調さを背景に、再び中国への投資を加速させている。
1997年に第1号店を上海にオープンさせたロータス・スーパーセンターは2004年度で17店舗開設し、2006年までに中国全土に70店舗を展開する予定である。また2002年には中国最大のショッピングセンター、スーパー・ブランド・モール(SBM、中国名「正大広場」)を上海にオープンした。SBMは上海の新しい高層ビルが立ち並ぶ浦東地区に位置し、総投資額4億5000万ドル、地上10階・地下3階で総面積24万平方メートルとアジア最大規模を誇るショッピングセンターである。
小売業だけでなく、バイオテクノロジーなど中核のアグリ事業でも中国事業を拡大している。
タイと中国がFTAを締結したことから、CPは中国への種子、果物などの輸出業務を強化している。またCPは中国政府から外国企業としては唯一、種子の開発のためのライセンスを保有している。CPは積極的なR&Dにより新種の開発、販売に乗り出す計画である。
CP総帥ダニンは2004年のタイム紙のインタビューで、通貨危機後に襲った会社の危機から生き残るために、タイや中国の事業で売れるものはなんでも売ったが、常に明日を見て、挽回のチャンスを伺っていたと述べた。実際、2004年度の段階で、中国でオートバイに再進出を果たし、小売業では既に述べたように通貨危機以上に業務拡大に成功している。
オートバイの生産量は2003年度50万台、2004年度は65万台と大幅に伸びており中国でも7番目の生産量を誇る。2006年までには100万台の生産を目指している。
CPの中国への挑戦はまだまだこれからが本番といえよう。
タイの華人的経営とCPの成功要因
CPの成功要因を検討してみたい。
まず、経営戦略上、農業、畜産業と関連するアグリビジネスを中核事業として発展させることは、自国の資源を低コストで活用でき、産品の輸出にあたってもその優位性を十分に発揮できた。自らの強みに磨きをかけつづけたことが、成功の最大要因であろう。資金や人材などの実力を蓄積することによって、ほかの分野に進出し多角化していった。また対外投資についても技術、経営ノウハウを市場を持つアグリビジネスからはじめて、ほかの分野に広げた。
経営形態上、一族を中心に企業グループを形成していくことは一般的な華人的経営の形態である。CPは通貨危機後も、徐々に経営の透明化を図ってきているとはいえ、一族経営体質はそのまま残した。中核となる経営分野から徐々に投資分野を拡大して、経営を多角化していき、コングロマリットを形成していくのも東南アジアに共通の華人的経営である。企業グループの組織形態や経営管理は、一族の中核企業を中心として、親会社あるいは持株会社が主要な子会社をコントロールし、その子会社がさらに傘下の企業をコントロールするという構造である。これによって親会社から末端の傘下企業までの企業グループが形成された。
一般的に、こうした閉鎖的で情報公開も不十分ともとられがちな、一族支配体制は、一方で意思決定の迅速化をはかることができ、外部からの敵対的な買収なども守ることができるという、大きな長所をもつ。実際、中国への積極的な投資活動をみても、その長所は最大限生かされているものと思われる。
またCPの場合、こうした華人的経営に特徴的な経営組織とは別に、独自の経営組織体制をもつ。すなわち、グループ全体としては統一的な戦略を策定し、企画・展開されるが、具体的に各部門と子会社はそれぞれ独自に運営、独立採算が徹底されるのである。ただし、相互の協力関係は大切にされ、それによって組織の機動性、積極性と創造性が発揮されるのである。
新事業の開始にあたって、海外から最新技術を導入、あるいはその分野で実績のある大手企業と共同投資を行なうことでリスク分散をはかった。アグリビジネス以外の新規分野に進出する際には、タイ国内、中国国内を問わず、同じ積極的にジョイントベンチャーを組んできたことからわかる。
CPに限ることではないが、経営環境としてタイにおける華人企業の形成、発展の過程がアジア各国とくらべて比較的順調であったことも忘れてはならないであろう。フィリピン、マレーシア、インドネシアなどと違い現地のナショナリズムの影響をほとんど受けずにすんだことが、その後の成長に大きく影響を及ぼした。
すでにみたように、タイ政府は華人に対して差別することなく、政治、経済など各分野で自国民と全く同じ権利を与え、華人の現地社会への融合を促進した。そのためタイにおける華人企業は、タイ人からはそもそも民族資本と見られていた。その結果、タイ華人企業は世界各国の華人企業グループのなかでも経営規模は突出して大きく、経営的に安定しているのである。
最後に、タイの代表的な大企業のサイアムセメントと比較することで、CPの経営をみてみたい。
サイアムセメントは、1913年にチャクリー改革によりタイの近代化を進めたラーマ5世が、王室財産局が50%を出資して設立した企業である。現在でも王室財産管理局が35.6%の株式を保有する王様の企業である。
サイアムセメントは、その設立背景ゆえに、タイを代表する企業として国策的に、セメントや紙・パルプ事業、石油化学、鉄鋼、自動車産業などさまざまな分野に、トヨタ、日本製鉄、ミシュラン、ダウ・ケミカルなど世界の一流企業と提携することで、経営の多角化をはかってきた。
ただ、1997年の通貨危機でCP同様に大きなダメージを負い、40以上もあった事業からセメント、紙・パルプ、石油化学を中核事業として注力することを決定し、他の30あまりあった事業からは撤退や出資比率の引き下げなどに取組んだ。その結果、債務の圧縮に成功して、通貨危機を乗り越えて2001年以降は黒字化に成功し、現在では順調に事業を拡張している。
CPと比較するとサイアムセメントの場合、国際展開や通貨危機後の経営拡大という点ではCPに大きく遅れをとっている。その点、一族経営として意思決定と事業展開の迅速性にまさるCPには及ばないのは事実である。財閥企業的な経営のダイナミズムに欠けることは否めない。
一方で、財務諸表上の利益ベースではCPよりも経営堅実な経営が光る。その点、CPグループは事業が好調なときには長所となる一族支配体制が強いがゆえに、過剰ともいえる投資活動、特に中国への積極的な投資は、一方で大きなリスクをはらんでいるもの事実である。
表2
SET上場CPグループ持株関係(2004年8月現在) | |||||||
CPグループ株主名 | CPF | CP HOLDINGS | CP GROUP | CP MERCHANDIZE(1) | CPF INVESTMENT(2) | CP INTERFOOD | TELECOM HOLDINGS(3) |
SET上場企業名 | |||||||
CHAROEN POKPHAND FOODS(CPF) | 27.8 | 15.53 | |||||
VINYTHAI PCL | 3.67 | 20.75 | |||||
C.P. SEVEN ELEVEN | 25.95 | 17.27 | |||||
TRUE CORP. | 3.12 | 11 | |||||
UNITED BROADCASTING CORP. | 22.66 | ||||||
SIAM MACRO | 6.36 | ||||||
(注)(1)CPF 99.99% (2) CPF100% (3)TRUE 99.99% |
出所: Thailand Company Handbook
図15
出所:Thailand Company Handbook
参考文献
朱炎 『アジア華人企業グループの実力』 ダイヤモンド社 2000年
Brooker Group “Thailand Company Handbook”2004
日本経済新聞1999年6月7日2000年12月25日2001年3月5日各記事
NNA 01年10月17,24日記事
Nation 2004年1月14日記事
Charoen Pokphand Group Home Page http://www.cpthailand.com/