はじめに:効率だけでは足りない時代

2020年代に入ってから、物流は単純なコスト最小化と効率化の対象ではなくなりつつあります。気候変動による災害の増加、ドライバーや倉庫作業員の慢性的な不足、AIの進化、脱炭素規制の強化、そして地政学的な分断が長期化しているためです。例えばDHLの調査では、サプライチェーンの複雑化によりコスト効率よりもレジリエンス(壊れにくさ)を優先する必要があると指摘されています[1]。日本の物流大手、NXグループも、物流が「人々の生活を支える社会インフラ」であり、災害やサイバー攻撃に備えた事前準備が求められると述べています[2]。こうした背景を踏まえ、本稿では2030年代以降の物流理論を再構築するための環境変数と新しい理論の方向性を検討します。

以下の図は、今後の物流を規定する主要な環境変数をまとめたものです。気候変動、労働力不足、AI自律化、脱炭素規制、地政学リスクという5つの要因が、それぞれ物流のあり方に大きな影響を与えると予想されます。

環境変数のチェックリスト

カテゴリ具体例参考情報
気候変動の常態化洪水・山火事・干ばつなどの極端気象が供給網を寸断し、空輸・鉄道・海運・トラック輸送が迂回を余儀なくされる[3]Maerskによる気候変動の影響分析[3]
労働力の構造的不足米国ではドライバーの慢性的な不足が指摘され、2030年までに不足数が16万人規模に増える可能性がある。高齢化や労働環境の厳しさが要因。Penske Truck Leasingの報告
AIの意思決定主体化35%の企業が2030年までにサプライチェーンの大部分が自律化すると予想し、27%が2035年までにそうなると考えている[4]EYの調査[4]
脱炭素の義務化物流からの温室効果ガス排出は世界全体の少なくとも7%を占め、2030年までにグリーン物流需要は3,500億ドルに達する可能性がある[5][6]McKinseyの分析[5][6]
地政学リスクの長期化世界経済の分断が進み、企業の1/3が2030年に向けて地政学的リスクが事業変革の主要因になると見ている[7]。サプライチェーンの地域化や多国籍分散が進む[8]FM Magazineの報告[7][8]

2030年代の中核物流理論

従来の物流理論は「最適解はひとつである」という前提で設計されてきました。しかし、上述のような環境変数が複合的に作用する時代には、常に変化する状況に柔軟に対応する理論が求められます。本節では、予測される5つの中核理論を紹介します。以下の図では、それぞれの理論を円環の一部として示し、相互の関係性を可視化しています。

1. 適応最適化理論(Adaptive Optimization)

これまでの効率重視の考え方は、在庫削減やリードタイム短縮といった単一のKPIに最適化してきました。DHLは、複雑化したサプライチェーンではレジリエンスがコスト効率よりも優先されると指摘しており[1]、平常時と危機時で重視すべき指標が異なることを示唆しています。適応最適化理論では、状況に応じて最適解を切り替え、冗長性(スラック)を価値とみなすことが重要になります。例えば在庫や輸送手段に余裕を持たせることで、災害や政治的混乱に対応できる柔軟性を確保します。

チェックリスト

  • 単一の最適解を捨て、複数のシナリオを用意する。
  • 在庫や輸送能力に冗長性を組み込み、余白をコストではなく投資と評価する。
  • AIを活用してリアルタイムにKPIを切り替える仕組みを導入する。

2. レジリエント・エコシステム理論

従来のサプライチェーンは企業間の線を結ぶものでしたが、災害や長期的な社会変化に対応するには、自治体・エネルギー・IT企業・荷主・物流事業者などが参加する地域全体の面(ecosystem)として物流を捉える必要があります。NXグループは、物流が社会インフラであり、緊急時に供給網を維持する計画を前もって準備する重要性を強調しています[2]。この理論では、地域レベルでの物流プラットフォームを構築し、公共性を内包した目的関数(社会的最適)を設定します。

チェックリスト

  • 荷主・物流事業者・自治体・エネルギー・IT企業が協働する地域プラットフォームを設計する。
  • 企業単位の事業継続計画(BCP)を地域単位に拡張する。
  • 公共インフラとしての物流機能を明確にし、災害時には社会基盤として優先的に稼働させる。

3. AIエージェント主導物流理論

EYの調査によると、2030年までに35%のサプライチェーンがほぼ自律的になると予想され、2035年までにはさらに27%がそうなると見込まれています[4]。これは、配車や在庫配置、倉庫内動線、モーダル選択の多くをAIエージェントが相互に交渉・合意して決める世界の到来を意味します。AIはルーチン業務や複雑な調整を担い、人間は倫理的判断や最終承認に集中します。これにより、人間中心の意思決定理論からAI協調型の理論へと変化します。

チェックリスト

  • AIが自動で配車や在庫配置を決定するアルゴリズムを導入する。
  • AIによる意思決定を監督するための人間の役割(倫理・最終承認)を定義する。
  • 複数企業間でAIエージェント同士が情報を交換・交渉できる標準を整備する。

4. 物理制約ロジスティクス理論

脱炭素社会においては、温室効果ガス排出がコストではなく制約条件として扱われます。国際再生可能エネルギー機関(IRENA)は、国際海運が世界貿易の80〜90%を支えながら全輸送排出の約3%を占めており、何もしなければ2050年までに排出量が50〜250%増える可能性があると指摘しています[9]。同報告は、再生可能燃料の導入を促進するためには燃料ごとに炭素価格を設定し、港湾での排出規制を厳格化する必要があると提言しています[10]。物流理論は、カーボンプライシングや排出上限、再生可能エネルギー供給能力といった物理的制約を前提に再構築されなければなりません。

チェックリスト

  • 排出上限やカーボンプライシングを制約条件として組み込んだ輸送計画を策定する。
  • EV・水素・SAF(持続可能航空燃料)などゼロエミッション技術の採用を前提に設計する。
  • 港湾や倉庫でのエネルギー供給・充電インフラをサプライチェーンと連携して整備する。

5. 需要共創・抑制型物流理論

物流は受動的に需要に応えるだけでなく、需要そのものを共創・抑制する役割を果たすようになります。MITサステナブル物流イニシアチブによる研究では、メキシコの大手小売企業Coppelと協働した実験で、消費者の70%が環境インセンティブを提示されると配達を約5日遅らせることに同意したと報告されています[11]。特に「この選択で何本の木を守れるか」といった具体的なメッセージが有効で、回答者の90%が低炭素配送を選んだといいます[12]。さらに、配送時間を複数提示するアルゴリズムにより、配送距離が46%、輸送時間が43%削減され、必要な車両数も57%減少したことが示されています[13]。試験的なフィールドスタディでこれらの削減効果が見られました。この理論では、物流が配送頻度やタイミング、CO₂情報を提示し、消費者行動を変えることで需要を平準化し、環境負荷を下げます。

チェックリスト

  • ECサイトで配送日時と環境負荷を可視化し、遅延を選んだ消費者にインセンティブを提供する。
  • 需要ピークを平準化するアルゴリズムを開発し、複数の配送ウィンドウを最適に割り当てる。
  • 物流企業と小売業者が協力し、配送行動の変容が物流コスト削減と環境負荷低減につながることを訴求する。

2040–2050年を見据えた到達像:統合物流理論(Meta‑Logistics)

2030年代を経て、2040〜2050年代には物流理論そのものが変容し、物流・エネルギー・都市計画・環境経済学・安全保障などの分野が融合した統合物流理論(Meta‑Logisticsが必要になるでしょう。国際海運の例では、99%を化石燃料が占める現在のエネルギー供給を転換しなければ、排出量が急増すると警告されています[9]。同時に、エネルギー供給網の再設計、都市インフラの再構築、持続可能な経済制度と整合する形で物流を捉える必要があります。

以下の概念図では、物流がエネルギー、都市計画、環境、セキュリティと重なり合う様子を表現しています。

時系列まとめ:物流理論の進化

物流理論は歴史的に、効率化からレジリエンス、そして社会インフラとしての役割へと変化してきました。今後はさらに適応最適化や脱炭素制約、AI主導、需要共創などが加わり、最終的には社会全体の循環理論へ統合されると予想されます。下図は、各時代の中心理論を時系列で示したものです。

経営者への提言

小さく始めて適応力を育てる

新しい理論は一挙に実現するものではありません。AIによる需要予測や遅延検知といった小規模な導入から始め、成功事例を積み重ねることが重要です。エコシステム型プラットフォームを構築する際は、既存の地域インフラや自治体との連携を図りながら試行を行いましょう。

サステナブル投資の費用対効果を評価する

脱炭素投資は短期的なコスト増を伴いますが、長期的には顧客獲得や規制対応、リスク低減につながります。リサイクル包装や低炭素配送の導入による効果を測定し、投資判断に生かします。

需要共創と関税リスクを経営戦略に統合する

需要ピークを抑制する仕組みや地域分散型サプライチェーンを経営計画に組み込み、部門横断的な意思決定を行います。地政学リスクに備えて調達先を多様化し、関税上昇に対応する価格戦略や財務シミュレーションを用意します。

終わりに

2030年代以降の物流は、これまでの常識に縛られない発想と多様な利害関係者の協働が不可欠です。本稿で取り上げた理論やチェックリストはあくまでも予測に基づく提案であり、実際の取り組みは状況に応じて柔軟に調整される必要があります。効率最大化の時代から適応最適化の時代へと舵を切ることが、持続可能な競争力を生み出す鍵となるでしょう。


[1] Logistics in 2030 – Our Strategy – Delivered – Global

https://www.dhl.com/global-en/delivered/global-trade/logistics-in-2030-trends-challenges-and-our-strategic-response.html

[2] MATERIARITY Building a Sustainable and Resilient Logistics Infrastructure | NIPPON EXPRESS HOLDINGS

https://www.nipponexpress-holdings.com/en/sustainability/materiarity/infrastructure

[3] Using Integrated Logistics to Manage Climate Change Effects | Maersk

https://www.maersk.com/insights/integrated-logistics/2022/09/27/adapting-to-the-effects-of-climate-change-with-integrated-logistics

[4] Move to an autonomous supply chain with AI | EY – US

https://www.ey.com/en_us/coo/move-to-an-autonomous-supply-chain-with-ai

[5] [6] Reducing emissions in logistics | McKinsey

https://www.mckinsey.com/capabilities/operations/our-insights/decarbonizing-logistics-charting-the-path-ahead

[7] [8] Diversify and prosper: Geopolitical risks and transformation

https://www.fm-magazine.com/news/2025/jul/diversify-and-prosper-geopolitical-risks-and-transformation

[9] [10] A pathway to decarbonise the shipping sector by 2050

https://www.irena.org/-/media/Files/IRENA/Agency/Publication/2021/Oct/IRENA_Decarbonising_Shipping_2021.pdf

[11] [12] [13] E-commerce retailers should put more value on green delivery options | Trellis

https://trellis.net/article/e-commerce-retailers-should-put-more-value-green-delivery-options