『リベラリズムへの不満』フランシス・フクヤマ

新自由主義は、20年にわたって高度経済成長を推進しながらも、世界経済を不安定化させ、自らの成功も台無しにする結果となった。規制緩和は、実態経済の多くの分野では有効だったが、1980年代から90年代にかけて金融分野に適用されると悲惨な結果を招いた。

製造業とは異なり、大規模な投資銀行は制度的に危険性があり、過度のリスクをとれば経済全体に莫大なコストをもたらす可能性がある。2008年9月のリーマン・ブラザーズ破綻で世界はそれを目の当たりにした。

いわばアメリカの新自由主義者たちは、自分で仕掛けた罠にはまったようなものだった。

過剰な国家介入に対するリベラルの懸念の根底には、国家への過度の依存が人々の自助能力を弱めるという道徳上の懸念があった。

正しく理解すればリベラリズムは国家が提供するさまざまな社会的保護政策と矛盾はしない。

リベラリズムの基本原理では、個人の幸福と人生の結果に個人が責任を持つことが期待されるが、その一方で、個人が不測の時代で不利な状況に怒れた場合には、国家が支援に乗り出すのは当然だと考える。

新自由主義者が政府を敵視するのは、合理性を欠くとしか言いようがない。気象予報から公衆衛生、裁判制度、食品や薬品の安全、警察や国防に至るまで、市場経済では選択できない公共財を提供するために国家が必要なのである。