『資本主義の世界史』p.396

マックス・ウェーバー「近代資本主義の拡大にとって最大の問題は、資本の起源の問題ではなく、資本主義精神の発達の問題である。この精神が開花するところならどこでも、自ら行動できるところなかどこでも、この精神は自らの資本を創造し、その行動手段である貨幣を蓄積するが、その逆は真でない。」なぜなら「資本は禁欲的な強制貯蓄によって形成される」からだ。

とすれば、われわれは次の問題に遭遇する。もし資本主義の飛躍が、諸社会が表わす「土壌」に大きく依存するとしたら、この過去5世紀について、プロテスタンティズムによって刻まれたピューリタン社会に主として資本主義(商人的、工場制手工業的そして産業的資本主義)の萌芽が存在したことは明らかである。おそらく西欧における主要な資本主義の弱体化は、そこでの価値と宗教について見いだされる凋落と無関係ではないのではないか。

したがって、今日、資本主義的発達のあらたな躍進を約束していることがあきらかになっているのは、勤勉な労働、簡素な生活、集団的努力、連帯の価値が広く浸透したアジア社会(華人資本主義の中国回帰とアジア展開)、とみなすべきではないのか。

これらのアジアの人々、社会、国々は、それぞれの仕方で、諸文明の融合と諸宗教の混合から受け継いだ価値体系に立脚し、21世紀の前後にとりわけ勢いをましてきた推進力の源泉である「資本主義の新精神」を自らのものとし、そこに歴史が実現し貫徹する拠点、試練へのばねを見いだしたのではないか。