照葉樹林文化

照葉樹林とは、ヒマラヤの中腹あたりから東へ、ネパール、ブータン、アッサムの一部を通り、東南アジア北部山地、雲 南、貴州高地、長江流域、朝鮮半島南部を経て、西南日本に至る東アジアの温暖帯に沿って分布する常緑広葉樹林のことである。わが国では九州西部から秋田県 海岸部、岩手県南部を北限とする地域に分布している。 照葉樹林では、樹木の種類が硬葉樹林や落葉樹林にくらべて非常に多い。ドングリのなる植物、ブナ、ナラ、クヌギ、クリ、カシ、シイなどのブナ科の樹木が主力である。

日本の照葉樹林は本場といえる。照葉樹林が一つの特色ある文化の発生母体になりうるほどの面積をしめているところは他の国にはない。例えば、大陸の東岸にある暖温帯という条件であたってみると、米国の東岸やアジア大陸の東岸あたりには、当然ひろい照葉樹林帯があっていいはずだが、実際には見当たらない。

北米の歴史はあたらしいので、白人がはいってくる以前の植生がかなりよくわかっているが、雨量が足りないため、ひろい照葉樹林がかつてあったという形跡はない。中国の揚子江流域は照葉樹林があってしかるべき場所だが、中国の平地は徹底的に原始的な自然が破壊されつくしたので、まったく手がかりがない。

東アジアに連続する照葉樹林帯には、共通する文化要素が数多く継承されており、1966年中尾佐助氏によって「照葉 樹林文化」と命名された。その文化的要素の中ではとくに、アワ、ソバ、餅、オコワ、甘酒、茶、納豆、コンニャクなど、食文化に関するものが私たちの生活に 継承され親しまれている。照葉樹林は日本人の基層文化の一つを育んできたのである。

日本の風景美の美しさは、照葉樹林と豊かな森と、海に囲まれた火山列島であることと豊富な降水量という自然条件、さらに維持されたのは近代以前の日本人が風景の保護に努めてきたためなのである。日本列島の緑の美しさは自然そのままのものではない。数千年にわたってこの島に生きてきた人々の日々の営みが作り出した歴史的な遺産であった。こうした自然条件が日本人への思想、生き方に影響を与えつづけているのは間違いない。